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男二人ぶらり逆グルメ旅(せかますinアルスト+よその子)

 これ見よがしに深いため息をつかれてしまっては、声をかけないわけにはいくまい。
 連邦酒場、冬の日である。石焼き鍋が腹に染みる季節、依頼確認でたまたま入った酒場はちょうど昼食時だった。そして偶然酒場のテーブルについてため息をこぼしていたのがヤオである。空になった食器類を見つめる彼の表情からして、満腹で満足の息をついたとは思えない。
「何かあったのか?」
「おう勝宏か、いや……なんか、やっぱり駄目だなって」
「ナンパでも失敗したか?」
「そうそうナンパ、じゃなくてだな。失敗するわけないだろこの僕のこの顔で」
 勝宏も透を待たせているのだが、透は外ではなく教会で待ってくれているはずだ。多少遅くなっても寒い思いをさせることはないだろう。そんなぐあいで深刻そうな顔のヤオに声をかけてやったというのに、これである。
「ああそう、よかったな色男」
 この男の見た目が良いことはまあ認めよう。事実は事実だ。言動はともかく。
 切り上げて踵を返してやろうかとも思ったが、なんとなく気になって隣の椅子を引いた。ヤオはどうやら今一人でいるらしい。彼にはナツヨという女性が常にそばにいるイメージだが、考えてみれば身内女性の目の前で女の子を引っ掛けるなんて正気の沙汰ではなかった。自分がたまたまナツヨと一緒にいる彼ばかりを見てきただけで、本来は別行動もままある二人なのだろう。
 なにより。短い付き合いではあるが、この男はどうも自分の内側に抱えたものたちをうすっぺらい笑顔でまるっと隠しこもうとするきらいがある。本当に突っつかれたくなきゃ、知り合い――この場合、勝宏である――のいる場で大げさにため息などつかない男だ。
「聞いてほしいことあるなら聞くけど?」
「あー、うーん……そうだな、情報の所持にアホかどうかは関係ないからな……」
「おい」
「いい感じにまずいメシ出してくれる店知らない?」
「……うまい店じゃなくてか?」
「懐かしい味が恋しくなったのさ」
 懐かしい味、ね。この男がどこ出身で、その出身がどんな国で、どんな食文化なのかは知らないが。そのへんの情報を明け渡してくれないことには、アドバイスのしようもない気がする。
「具体的にまずいってどんな?」
「たとえば、公国の……チップさん? あそこで出してるソーセージ、めちゃくちゃうまいじゃん。皮パリっとしててジューシーで、ちょっとハーブきいてて」
「だな」
「いま僕が求めてるソーセージはな、皮がぐにゃっとしてて、肉っていうかゴム食ってるみたいな味がして、なのに皮の表面が黒焦げなんだ」
 ドマゾか何かか?
 と、言いかけたがどうにかのみこんだ。べつに彼も、まずいものがすきって言ってるわけじゃないのだ。普段はうまいものを食べたい普通の味覚の持ち主であろう。ただ単に、たまの気分転換に故郷の味――かどうかは知らないが――つまりまずいものを食べたくなった、というだけで。
「フライング唐揚げはうまみが逃げきって超絶固くなっててほしいし、びちゃびちゃのスタンポットが大皿にてきとーに盛られてるやつにビネガーぶっかけて食べたいわけ」
「ああ……そう……」
 故郷の味じゃなくて、彼の昔なじみの誰かさんが料理下手だったのかもしれない。まあどっちにしろ、透に頼んでどうにかしてもらえる内容じゃないのは理解した。透にそんなもの頼んだら、いや別に怒らないだろうけど、ものすごく悩みそうだ。今深刻な顔で物憂げにしているヤオと同じかそれ以上に。
「ごめんなさいね、うちはスタンポットはメニューにないから……。公国の方ならどうかしら?」
 聞いていたのか、お盆を抱えたルネッタが話に加わってきた。彼女はヤオがきれいに食べ終えた空の食器類を手早く回収してゆく。
「やっほールネッタちゃん、今日もおいしい石焼き鍋ありがと」
「あら、ありがとう。今日のアブルマーリンは私が朝早くに市場で見繕ってきたの、おいしいに決まってるわ」
「さっすが、仕事には手を抜かないねえルネッタちゃん」
「スタンポットは公国の料理だから……チップさんならメニューになくてもきっと作ってくれるわ。頼んでみたら?」
 一言二言会話をかわして、ルネッタが厨房まで戻ってゆく。全部を聞いていたわけではなく、スタンポット、という単語が聞こえて「スタンポットが食べたいのにこの店のメニューにない」みたいな話をしていると思い込んだのだろう。
 彼女もまさか今のこの男の願いが「まずいメシ食べたい」だとは思うまい。結局おいしいものの情報を得てしまったヤオは、彼女が見えなくなってからテーブルにべったり突っ伏した。
「勝宏、チップさんとこ食いに行くか」
「なんでいきなり」
「いや、僕さすがにチップさんにビッチャビチャの雑スタンポットをビネガー漬けにして出してくれなんて言えないし。奢るから勝宏が言って」
「いやだよ俺が怒鳴られるだろそれ」
 なにさらっと失礼なこと言わせようとしてるんだこいつは。
 しかし、勝宏もさほどこの世界に詳しいわけではない。おいしいもの、ならば透がいくらでも用意してくれるが、おいしくないもの、なんて好きこのんで覚えているわけがない。誰に訊いたって無駄だろう。というか、「まずい店」リストの情報なんか売り歩いた日には営業妨害確定である。おいしいかどうかの基準は個々で異なるものだ。ビッチャビチャの雑スタンポットつゆだくもといビネガーだくで口にかっこむのがすき、なんて輩もいるかもしれないし、そこをつつくのは極論マイノリティがどうとかいう話に発展しかねない。
 だいいち誰もが認めるまずい店、なんてものがあったら一か月ともたず潰れるに決まっている。……あ、一か月ともたずに潰れる、その前に足を運んでみる、か?
「店ひらいたばっかのとこ狙えば?」
 オープンしたばかりの店を重点的にめぐる。そうすれば、「淘汰される前のまずい店」に行き当たる可能性はないでもない。もちろん、とてもおいしいごはんを出してくれるお店に当たるかもしれないわけだが。
「あー、オープン一か月未満の店か。情報はまあ、絞り込めなくはないな……」
 一緒にいるナツヨの力なのかもしれないが、勝宏よりもよっぽど情報収集に長けているこの男がその結論にたどりつかないわけがない。チェックしていない理由は。
「よし勝宏、一緒にいくか」
「だからなんで俺なんだよ、女の子誘えよナンパ百発百中なんだろ」
「女の子をデートでまずいかもしれない店に連れてくわけないじゃんバカだな」
「……おまえほんと……ほんとさあ……」
 まずい店でもなんでも、家に帰れば透が勝宏好みの飯を作って待っていてくれるわけで。言ってしまえば勝宏は、その日のうちに口直しが容易なのだ。
 そんなわけで、そのうち付き合ってやるか、程度の約束をその日交わしたのだけれども。

 そのうち、は、案外早く訪れた。
 ヤオという男は普段からお調子者のかわをかぶっているだけあって、言い訳を考えるのが上手い。勝宏がそこをつついたところで否定されるに決まっているので面と向かって問いただしたことはないが、あれは腹の底を隠しながら一人で勝手に自分を追い詰めていくタイプである。どんどん上手くなっていく言い訳やこじつけのスキルに、ひとり嫌気がさしたりなんかするやつ。
 潰れきる前に頼ってくれりゃいいけど、へたに首を突っ込むのも相手の「そうしなければならない」目的を損ねかねない。まあ、何かあったら死ぬ前に、腕を掴んでやればいい。幸い冒険者は、特定条件下に限るとはいえ外傷で死ぬことがない。何かあってからでも遅すぎる、ということはないだろう。
 そう考えるくらいには、勝宏は彼の「言い訳スキル」に助けられている。たとえば先日、透を教会に待たせてしまった時だってそうだ。うっかり長時間酒場で話し込んでしまい心配して酒場まで勝宏を探しに来てしまった透に対し、ヤオが耳打ちで何かしかを話したところ、透はあっさり納得してくれた。ちょっと透の顔が赤くなっていたので、馬鹿正直に「まずいメシを探していた」なんて言いはしなかったのだろう。
 まあそれから、なんというか、単純に。こいつにもまだちゃんと「こういうものが食べたい」みたいな、ふつうの欲求、っていうものがあるのがなんか嬉しかったというか、ほっとしたというか。
 表向きは、女相手の下心しか見せないようなちゃらんぽらん男だ。常に知り合いの色んな女性から白い目で見られている。それでも勝宏には、なんとなくそれが彼にとっての隠れ蓑、一種のシェルターにしか見えない。
 いつも違う女の子に声をかける。女の子ならだれでもいい。それはつまり、「たった一人を決めようとしていない」、ということの裏返しでもある。それでは女の子に執着がまったくないのとほとんどかわらない。
 じゃあそんな皮かぶってまで、なにに執着してるのか。は、知らないけど。知らないけどさ。
 食べることに少しでもこだわりを見せてくれたなら、それはそれでいいか、みたいな。そういう感じだ。

 結局「オープン一か月もたってない店」のリストアップをしたのは勝宏ではなくヤオの方で、勝宏としてはなんで俺付き合わされてるんだろう、である。
 残念ながら、勝宏の頭は深く考えられるようにはできていない。結局首を傾げるだけに終わって、公国路地裏の階段を下りたつきあたりにある店の入り口をヤオと一緒にくぐる。
 店に入った時点でめちゃくちゃいいにおいがした。これは絶対うまい店。間違いない。そして今絶賛まずい店巡りをしているヤオからすれば期待外れの店、ということになるわけだが。
 入ったからには何も食べずに出ていくわけにはいくまい。二人並んでカウンター席に座り、ヤオがメニューを開く。スタンポットがある、とにんまり笑った彼の表情は、ちょっとばかし幼く見えた。自分と同い年とか、二十歳そこらくらいの。
 普段の言動からしてまるで年上に見えない彼だが、この顔はなんだかちょっといいなと思う。たぶんこれが、素の彼に近いんだろう。取り繕った軟派な女好きの顔でも、その内側に隠してるつもりの顔でもなく、もっと、ずっと前の。

「で、感想は」
「美味すぎ。ぜんぜんダメ」
「そりゃそうだろうな。おまえ舌大丈夫か?」
「味覚異常じゃないっての。味がわからなくなるんじゃなくて、ただまずいメシが食べたい気分なの!」
「なんかめんどくさくなってきたな」
「僕もめんどくさいと思うわ」
「おま、自分」

 スタンポットはふつうにおいしかった。お好みで使えるテーブルの調味料のたぐいの中には彼のお目当てのビネガーもあったが、うまいスタンポットにビネガーだけ山ほどぶっかけても、とうらめしそうにしていた彼はなんだかんだで会計の際にビネガーのテイクアウト品を購入していた。それはそれとして味は気に入った、ってやつだな。
 ビネガーの瓶は、所属ボンドの集会所にぽつんと置かれることになった。
 色んな人間の出入りするあの集会所に、彼の私物はそれひとつだけ。それでも勝宏はふと、その瓶にも「いいな」と思うのだ。
 たとえるならそう、家の近くをうろついていた野良猫が、近付いても逃げて行かなくなった、みたいな感覚で。

 それからも、ヤオとのまずい店探しはちょくちょく続いた。
 いっそ自分で作れよ、とも言ってみたが、彼らが拠点にしている家ではナツヨが台所に入らせてくれないのだそうだ。
 まあまずいメシを作りたいからキッチン使うね、だなんて、食料を無駄にするかキッチンを破壊するかの二択しか連想できないに違いない。そればかりはどうしようもない。なにより、ナツヨ――それなりに料理の上手い人間が隣にいようものなら、ちょっとでも火加減を強めたところでフライパンを取り上げられるのが目に見えている。
 だいたい、店を持とうと考える人間は基本的にメシがうまいものだ。下手くそのまま開業しようとするやつといえば、金持ち息子の道楽くらいしか想像がつかない。
 故郷の味だか、昔なじみの大切な人の味だか、知らないけど。でもきっと、「あの場所」か、「あのころ」か、どちらかに帰りたい気持ちがあるんだろうなとは思う。
 もし今の方がずっと環境が良くてもだ。今の方がずっとおいしいものが食べられたとしても、今の方がずっと強くなれていて、お金も稼げていたとしても。不自由があるかどうかに関わらず、懐かしむ気持ちに良い悪いなんてない。それがとおく、いま手の届かない場所にあるものだと分かっているのなら、なおさら。

 オープン一か月未満の店、のリストが底をつきかけたころ、たまにはがっつり食べられるとこにしようぜ、なんて炭鉱そばの食堂に彼を誘うなどした。
 炭鉱そばの立地の関係上、肉体労働者がやたら多い。というか男くさい。女の子がおらず、大食漢向けのメニューばかりのここは間違いなく彼の趣味ではないだろうが、安くて量が多くてすぐにスタミナに変わってくれるメシというのはありがたいものだ。ここの豚肉定食は、しっかり養豚された豚を使うのではなくオーク肉で代用されている。そこらじゅうに魔物と冒険者がうろつく時代である。このあたりで出現するオークのレベル帯はさほど高くもなく、駆け出し冒険者や兵士、どころか村の自警団なんかでも討伐が容易だ。一体あたりから取れる総量を考えても、オーク肉の方が仕入れ単価が安くなってしまうのは必然なのだろう。
 しかしなあ。隣に座り平然と大盛りの定食を頼んだヤオを盗み見る。この雰囲気の店にこんな顔の綺麗な男が入ると、掃き溜めに鶴ってこういうことを言うんだなあ、なんて思ってしまうものである。顔がいい。顔だけはやたらいい。改めて実感する。
 ややあって、運ばれてきた定食のオーク肉をひときれ、意外ときれいな――そしてこの場所においては不釣り合いな――所作で彼が一口ほおばる。
「あ」
「ん?」
「これだ」
「……例のまずいメシってやつ? これが?」
 どうやら、探し物が見つかったらしい。美味いか不味いかでいえば、「めちゃくちゃおいしくはないんだけど、まずいって言うほどじゃなくね?」みたいな感想を抱く、大味な料理を出す店だ。良くも悪くも値段なりというか。
 それからテバサキのもも肉唐揚げ――テバサキのもも肉唐揚げって字面がどっちだよ的な、日本人感覚ではなんか笑ってしまうんだけど、この世界の人間の認識的にはべつにおかしなことではないのだろう――を彼がおそるおそる、小さくかぶりつく。嬉しげに目じりが溶ける。豚肉だけでなく、この唐揚げもアタリだったらしい。これは別に彼の求めていたフライング唐揚げ、つまり魚の唐揚げではないのだが、確かに肉汁がうまいとこ衣に閉じ込めきれておらず若干固い。
 そしてポテトサラダは申し訳程度にピクルスが入っているだけで、ほとんど味がしない。小分けで持ち歩いていたのか例のビネガー瓶をアイテムバッグから取り出したヤオが、つけあわせのポテトサラダへ親の仇かというほどめちゃくちゃにぶっかけ始めた。いやうん、俺も日本では魚のフライに醤油めっちゃかけてたし、本人がいいならいいんだけど。たしかにこれは、ビネガーを大量にまぶせばビッチャビチャで味のしない雑スタンポットもどきになりそうだ。
 ビネガーの量はともかく、食べ方自体は見た目からの印象どおり美しい。山盛りだったサラダや肉が迷いなくどんどん片付けられていって、彼はやっと満足のため息をついた。
 最初にヤオがため息をついていた連邦酒場からさほど離れていない。幸せの青い鳥はすぐ近くにあったってわけだ。
 なんだかんだで彼とのまずいメシ探しがちょっと楽しくなってきていた勝宏は、これでこの珍妙な冒険が終わるのかと思うと、なんだかちょっと惜しいような気もしてくる。

「満足したっぽいな」
「まあまあね」
「まだ何かあるのか?」
「次はあれだ、まずいコーヒー」
 タンポポコーヒーでも淹れてやろうか、とも思ったが、そこまで考えてふと引っ掛かる。
 まずいコーヒーなんて、台所の使用を仲間から制限されていようがお湯さえわかせればどうとでもなる。それこそ勝宏もアブルタンポポでコーヒーつくる、くらいのことはできてしまう。
「ヤオさあ、ひょっとしてあれか? まんじゅうこわい? 的な?」
「なんだそれ」
「いや通じないならそれはいいんだけど。ぶっちゃけ相方に内緒で男二人まずいメシ探しするの、ちょっと楽しくなってきてただろ」
 日本の独特の言い回しをざっくり言い換えてやると、彼は明らかに目をそらして――それから、こちらの左足を思いっきりブーツで踏んづけてきた。
 痛ってえなこのやろう。鳩尾を小突き返してやる。
「食べ歩きなら普通に誘えばいいだろ、別に」
「相手がいなかったわけじゃないぞ。僕だって食事に行くなら可愛い女の子とが良い」
「でも可愛い女の子とのデートにああいう店は使えないだろ?」
「……そ、う、なんだけど」
「だけど?」
「なんか、怖いじゃん」
「まんじゅうこわい?」
「だからなんだよそれ。いや、ううん、なんでもない」
「ふーん。「いま」に馴染むのが怖い、って言うかと思ったけど」
 こちらの何気ない返しに、彼が赤い目を見開いた。あれ、これ言っちゃいけないと思ってたやつだったかな。まあいいか。
「勝宏おまえ」
「んー」
「……いや、まあ、そうだな。慣れたく、は、ないな」
「おう、そんで?」
「だから、可愛い恋人と最高のデートスポットでおいしいもの食べるよりは、いかにも芋な男とクソまずい店行ってる方が、慣れずに済みそうだとは、まあ、思わなくもない」
 さすがにもう言わないけど、そんなこと考えてる時点でもう手遅れなの、おまえ分かってる?
 たぶんさ、向いてないよ色々。考えてることも、腹の底で抱えてるものも。ぜんぶ。
「俺の事なんだと思ってんだよ……」
「芋」
 それは聞いた。

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