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帰る家は今日もおなじ(せかますinアルスト)

「ちょ、聞いてないわよそれ!」
 雪降る街のいつもの酒場で、向かいに座っていたエナがジョッキをガタンとテーブルにたたきつけた。サーモンカルパッチョをつまみながら、勝宏が首を傾げる。
「そんな驚くようなことか?」
「ええと、言った方がよかったのかな……なんか、ごめんなさい」
「透に謝られてもね。勝宏あんたうまくいったならいったで報告しなさいよもう!」
「だからなんの話だよ」
 エナが酔っているわけではない。まだ注文の料理は届いたばかりで、酒も一杯目である。勝宏は元の世界での年齢を気にして、アルコールは摂取していない。彼が飲んでいないなら自分も、ということで、自分は果実水とゲルミアヒージョをいただいている。魔物肉を使った調理は経験がないわけではなかったが、ゲルミの体液をアヒージョに使うとはじめ聞いた時は耳を疑ったものだ。なかなかどうして、酒の進みそうな味に仕上がっている。
「なんの話って、君ら上手くいったから一緒に住み始めたんじゃないの?」
「なにがうまいのかわかんないけど、俺ら王様から家貰っただけだし」
 どうも理由について訊かれているらしい。男二人、共和国で家を持ってそこを拠点にしていることについて。
「俺も勝宏も、冒険者稼業で公国を出た時に、こっちで借りてた家は引き払っちゃったから。王様の厚意にそのまま甘えさせてもらって……」
「え、いやちょっと待って、こっちでも二人で暮らしてたの? 前から?」
「当たり前だろ?」
 興味なさげに、勝宏は料理の皿を脇へ重ねてゆく。いつもならそれらを片付けておかわりが必要か訊ねるのは透の役目なのだが、今日は外食だ。落ち着かない気持ちになりながらレモンの風味のする水を飲む。
「つまりなんにも変わってないわけね、あなたたち」
 エナの言葉の半分も理解していなさげな勝宏を置いて、透は席を立った。うるさくしてごめんなさい、なんて謝罪は冒険者の集う酒場には無用のものだ。カウンターのチップが視線で否やを伝えてくる。
「あの、ここのゲルミアヒージョひょっとして、加熱の時にチキンブイヨンを使っていますか」
「ん? ああ。使うタイミングまでよく分かったな。この具材にゲルだけじゃ磯っぽくなっちまうからなあ」
 磯っぽさも好き好きだが、無味無臭のゲルミの体液がなぜそうなるのかを考えるとちょっと興味がわいてくる。ゼラチン状にすることもできるし、かと思えば合成ゴムや接着剤の原料にもなったりする。なんだかんだであの魔物はこの世界の文化を広げているように思う。
「しかし、おまえらホント変わんねえな、昔から」
「そうでしょうか」
 昔から、ということになっているのだろう。それが強制力からくるものなのか、それとも勝宏のためなのかは分からないが。少なくとも透がまともに話せるようになるまでの長い時間はこうしているはずだ。
 勝宏とは、どういう経緯で一緒にいることになっているんだろう。過不足なく進んでゆく物語を眺めながら、透は誰に訊くわけにもいかない疑問をまたそっとのみこんだ。本来の経緯を逆にたずねられたところで、困るのは透たちである。
「あ、透! 持ち帰り!」
 カウンターから離れた席で、勝宏がこちらを振り返る。言われなくても、そのつもりで席を立ったのだ。
 でもやっぱりちょっと悔しいから、そのうち自宅でこの店の料理を完璧に再現してやろうと思う。帰る家は、今日もおなじ。

 一緒にいること、一緒に暮らしていることについては、記憶を遡れば友人を名乗る彼からも言われたことがあった。
「アレと一緒にいてよく疲れねえな」
 勝宏と関わるたび調子を狂わされ通しのフェンダークが一度、共和国の家を覗きに来た。勝宏は街の外で今日の夕飯を釣るんだとお手製の釣り竿や釣り餌を抱えて出かけてしまったあとで、透はちょうど洗濯を終えた二人分の衣服やシーツを軒下に外干ししていたところだった。この国は日差しが強すぎる。スコールも多い。部屋干しばかりしているわけにもいかないので、布地をいためないためにはこうするのがベターだ。
 勝宏の下着を軽くのばして洗濯ばさみに吊り下げながら、透は目を瞬かせる。
「ストレスたまるだろアレは」
「アレって、勝宏の話、ですか」
「ほかにだれがいる」
 あんなド級のバカ、と苦虫を嚙み潰したように言うフェンダークは、勝宏が帰ってくる前に退散する予定らしい。せっかく来てくれたのだから夕飯でも一緒にどうかと思ったのだが、友人を名乗るわりにそこまで踏み込む気はないようだ。
 フェンダークのやり方が勝宏と真逆のベクトルを向いているのもあって、二人はどうもうまがあわないように見える。勝宏は、基本的に善人だ。誰とでも仲良くできるひとであっても、やっぱり性格の違いみたいなものはどうしても出てくるものらしい。交友関係が狭い透にはいまいちよくわからないが。
「こっちは心配してやってるんだがな。友人はあいつに似て、ひとりで色々溜め込むタイプだ。そしてあのバカはそれを察することができるほど頭が良くない、バカだからな」
「まあ……」
 次はバカと何度言ったかをカウントしてみるのもいいかもしれない。否定しづらい指摘なのも確かだ。フェンダークの話を聞きながら洗濯物を干し終えて、空になったかごを抱え上げる。
「でも俺は、ストレスだなんて思ったことないです、やりたくてやってることなので」
「男の下着せっせと干しながら言うかそれ」
「家事だって俺がやってますけど、勝宏ができないわけじゃないんですよ。俺がやりたいから、やらせてくれてるだけで」
「そりゃ友人、ちょっと物好きすぎないか? 言い方も妙にあやしいぞ」
 そういう話を振られるのもまあ、よくあることだ。笑ってやりすごすのにもずいぶん慣れてしまった。
 しかし、物好きとまで言われるとは、彼にとっての勝宏はいったいどういう評価なのか。魅力を言葉であらわしづらい人柄だろうなとは思うけれども。考えなしにあらゆる方向へ首を突っ込む、話を曲解したまま信じて疑わない、なにより感性がだいぶん子供だ。
 そんなところが透にとってはひどく稀有でうつくしいもののように思えるのだが、その彼の魅力が広く理解されるような歳の頃になるまではまだあと数年早いのだろう。実際歳をとることがあるかはわからないけれど。
「それにしたってだ」
 南風にはためく下着類を半眼で見つめながら、フェンダークが肩をすくめた。
「いいとしした男二人、こうして一緒に住む必要ねえと思うがな」
 それは確かに、そうかもしれない。

 あちらと比べると、ここはずいぶん明かりが少ない。古代文明が滅んだことや魔物によって人が追いやられた結果といえばそうなのだろうが、ここは魔物と共存する国マーロ共和国。そして今やこの地は新世界。人口数や古代文明をどうこじつけているかは分からないけれど、「そんな悲しいできごとはもう起こらない」世界なのだ。
 ともに帰路について、二人で玄関の扉を開け、ひとりが部屋のあかりをつけて、もうひとりが扉をまた閉める。
 エナの誘いで昼間からの酒盛りだったというのに、こちらに戻るころにはすっかり日が暮れてしまった。そもそもろくな交通網もないなか公国から共和国まで半日とかからず移動できている時点でおかしいのだが、マウントの超スピードにはもう慣れたものだ。
「あっためるね」
「おー」
「お茶とコーヒーどっちにする?」
「コーヒーの気分」
 二人分のテイクアウトとはとうてい言えない量を作らされたチップには申し訳なく思うが、透はともかく勝宏はとにかくよく食べる。あたためなおすだけでも結構な時間がかかるので、ひとまず小ぶりのケーキを出してやる。であったころからそうだったけれど、彼は食べることが好きだ。彼が幸せそうに食べているところを見るだけで、腹というよりは胸のあたりが満たされる。
「あれ透の分は?」
「ごはん前にケーキはちょっと」
 勝宏には出しておいてこの言い分もどうかと思うが、彼は気にも留めなかった。
 コーヒーといっしょに食べてくれれば、と思っていたのに、コーヒーをいれおえるころにはケーキ皿にはすでに食べかすしか残っていなかった。からん、とフォークが皿にぶつかる音がする。
 もう少し待っててね、とずいぶん使い慣れてきたこちらの台所で包みから鍋に移し替える。
「エナさんまでああ言うとは思わなかったね」
「そんな変かな、俺たち」
「どうだろう。エナさんは早く教えてほしかっただけみたいだけど」
 なんとなく、そのあたりも強制力かなにかでうまいとこまわるだろうと思っていたふしがあった。透にも。なぜ、と改めて第三者に問われると、答えづらいものだ。
「……いやなら、やめてもいいんだぜ」
 勝宏がふと、少ない明かりの中で呟く。そう、透たちはいつ「この世界」をリタイアしたっていい立場にある。あのころとは違って、今度は二人でそれができる。
「できないくせに」
 そうやって誰かを見捨てることができないところが、彼の彼たる所以だ。
「透は?」
「ええ、勝宏が好きなように生きていられる世界なら、俺はなんでもいいかな」
「知ってる」
 遅れてコーヒーを出してやった。カップから立ちのぼる湯気を、勝宏がじっと見つめている。
「もうずっと、透のまんなかに俺がいるのは知ってる」
「俺は結構勝手してるよ。勝宏にも甘えてばっかり」
 本当に相手のことを大事に思うなら、こう世話を焼き続けるのは良くないことだ。相手のやるべきだったタスクを奪えば奪うほど、相手のためにならなくなる。それを透は気に病むことがない。その時点で、彼には許されている立場だと思うし、好きなように生きている方だとも思う。
 これも、一種の身勝手というやつだ。
「俺はほら、勝宏のこと考えてこういうことやってるわけじゃないから」
「自分を悪者にしないと気が済まないのか?」
 茶化すように言うと、勝宏はむくれてしまった。優しい人だから、こういう思考を気取られてしまうといつもこうだ。
 しかし、なるほどそれも悪くないかもしれない。物語のおわりに、勝宏が正しい方へ立ってくれているのなら。
 透としては、なんでもいいわけだ。倒すべき敵が誰であろうと、救う対象が何であろうと。勝宏の感性で、勝宏が正しいと思う方向に物語が進んでくれれば、それで。
 その結果、世界でたった二人きりになってさえ、彼が隣で頷きさえすればそこがハッピーエンド、大団円の結末になる。
「……まあ、いいか」
 先に折れたのは勝宏の方だ。頭をかいて、目の前のコーヒーカップに口を付ける。食事を出し終えたらお風呂の準備をしよう。いつ何がどうなるかは分からないけれど、今は目の前のこと、目の前の暮らしだ。
 それだけに終始できる時間は、いつかの旅の終わりで切に望んだ日常であることには違いないのだから。

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